衛生対策
またもや福岡、大分両県ですさまじい豪雨とそれに伴う甚大な被害が発生しました。
5年前にも橋が流されたり、道路も家も冠水し、田んぼや畑も水没して農作物が被害に遭い、何よりも、多くの人命が奪われるという痛ましい、未曽有の被害があったばかりなのにです。
今回、またもや多くの人の命が奪われてしまいました。そして、たくさんの人が家を失ったり、様々な被害に遭い、酷暑の中、避難所などで不自由で苦しい生活を強いられています。今後、いろいろな被害を復旧したり、生活を立て直していくのには、きっとたくさんの時間と労力と忍耐力と、そしてお金が必要になるのだと思います。
災害はいつ、どこで起こるかわからないので、被害に遭った方も、そうでない方も紙一重の差なのだろうと思います。
私は、5年前に続き今回も被害が発生した大分県中津市に住んでいますが、山間部ではなく、山国川下流の市街地に住んでいるため、幸いにも被害は免れました。しかし、同じ中津市内でも、様々な被害にあった方は多数おられます。ですから、自然災害に遭遇するか否かは、様々な環境やその時々の自然現象によって左右される、まさに紙一重の差なのだと感じています。
東日本大震災以来、日本各地で災害に対する備えや心構えも進み、避難訓練なども随時実施されていると思います。
しかし、それでも、天災は忘れたころにやってくるということわざどおり、いつ、どこで、どんな災害が発生するかは誰にも予測できないので、他人ごとではなく、常に心のどこかにとどめておく必要があると痛感させられました。
そして、行政機関から発せられる避難勧告や避難指示に従って、早々に避難して自らの命を守るということが一人ひとりに求められるのはもちろんだと思いますが、場合によっては、そうした勧告や指示を待つのではなく、自分の住んでいる地域の地形や自然環境に応じ、また、天気予報の警報や実際に起きている現象に応じて、自分で判断して比較的安全と思われる場所に早めに避難しておくということも必要なのかもしれません。
もちろん、それは無駄に終わることが多いのかもしれません。テレビのニュースなどで、台風接近などに備えて早々に避難している人を見ながら、結果としては何も起きなかったときに、心配性だなと感じることもあるかもしれません。それでも、心配性でないよりも、心配性な人のほうが、そして、杞憂でも、仮に無駄となっても、早めに行動している人のほうが、自分や家族の命を守るという原則に忠実だと思いますし、周りの人たちの命も守れるのではないでしょうか。
今回の災害を通じて思ったのは、私自身が、日頃、大したことは起きないだろうとタカをくくったり、自分の感覚ではなく、避難勧告や避難指示がない限り行動する必要はないという、いわば他人任せになっているということでした。
自分や家族、さらには身近な人たちと一緒に生きていくために、もっと敏感でなければならないと感じた次第です。
(2017.7.14)