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 No. 80~議会制民主主義(代表民主制)と 学問の自由~ |大分県中津市弁護士中山知康

 

1.またもや久しぶりのブログ更新となってしまいました。
 最近は主に、Twitterでの短文のつぶやきばっかりで、こちらの長いつぶやきが疎かになっていました。
 さて、今回は「議会制民主主義(代表民主制)と学問の自由」について、最近ふと考えていたことを書きたいと思います。

2.かなり前にも漫画の感想(78.「赤狩り」に思う)を書きましたが、今回も、漫画を読んでいて、ふと考えてしまいました。
 というのは、漫画で、現在の議会制民主主義(代表民主制)はほとんど機能していない、ならばいっそ、議会は廃止し(政治家という職業はなくして)、日常の行政作用はAI(人工知能)に委ねて、国政上の重大事についてだけ国民投票で決すればよいと登場人物が話していたからです。
 たしかに、ここ何年も、国会は機能していない、そのことは否定しません。
 その理由について、政府与党が国会を軽視しているからとか、いやいや野党がだらしないからだとか、いろいろな人がいろいろなことを口々に言っています。
 こうした国会の機能不全の理由について、
私には私なりの考えがありますが(政府与党の国会軽視は甚だしいものがあり、それなのに、マスコミも我々国民もその責任を問わない状態が長らく続いていますし、野党がだらしないのはそのとおりだとしても、野党に力を持たせていないのは我々国民であり、結局、我々に帰着します。)、ここでは長くなるので、別のことをお話しします。

3.国会が機能しないならば、いっそ国会を廃止して、直接民主制で決めればいいという考えに、私は反対です。
 なるほど、技術は日々進歩していますので、ルーティンな事柄であれば、AIの判断に従って行政を遂行していれば特段問題が生じることはないということもいえるでしょうし(もっとも、ルーティンな事柄であれば、官僚機構が忖度とか接待を受けるとかせずに、前例に従ってしっかり仕事をしてもらえば、何も問題は生じないともいえます。)、重要な事柄については直接民主制で、国民投票(これも、デジタル技術の発展によって、迅速・円滑に実施できるようになるかもしれません。)によって決するのが、最も民主的といえるような気もします。
 しかし、それは民主的か、そして、歴史に鑑みて危険ではないか、と思うのです。

4.国民投票によって決するのが民主的かなどと疑問を抱くことには、矛盾ではないかというご指摘もあるかもしれません。
 たしかに、国民投票は、民意を直接表明する手段であり、最も民主的な手段ともいえるでしょう。
 しかし、民主主義は、単なる多数決の制度ではありません。
国民投票だけで決するということになれば、国民が投票によってそれぞれの考えを表明して、その多数で決するということになりますが、民主主義において最も大切な「議論」が担保されていないのです。
 民主主義は、「人間は間違いを犯すもの」であることを前提に、議論によ
って、対立する意見の調整や統合を図る制度であり、その過程で、相互に意見の表明、受容、修正等が行われることが期待されています。そして、最終的に多数決によって結論を得るときでも、多数派が正しいとは限らないことを前提として、少数派の意見を聞き、受容を試みるのです。
 このような議論を経て出された結論だからこそ、多数決(つまり、少数意見は否決)であっても、正統性を持ちうるのです。
 ところが、単なる国民投票だけということになれば、そうした意見の調整や統合をする機会が担保されないことになってしまいます。
 もちろん、マスコミを通じて識者の議論などに触れたり、SNSなどで意見を交わすことはできるかもしれませんが、冷静に、時間をかけて相手の意見を聞き、その長所短所を見極め、自分の意見を顧みてその長所短所を問い直し、場合によっては相手の意見を取り入れて自分の意見を修正し、相手にも自分の意見の優位な部分の受容を求めるなどして、意見の調整や統合を図ることは、SNSなどでは難しいと思います(なお、最近よく「論破」などという言葉を聞きますが、これは自分の意見が正しいことを前提にして相手を屈服させようとする態度であり、およそ民主的とはいえません。)。
 こうした意見の調整や統合をするのに、議会という場所は、歴史的に見てやはり大きな役割を果たしてきたのだと思います(もっとも、それは、議会の多数派が野党を無視したり、議会を軽視したりしないということが前提ですが…)。

5.国民投票で決すればよいという考えに対する、私のもう一つの反対理由、それは、歴史に鑑みて危険ではないかというものですが、
 現在、日本は二院制を採用しており、衆議院は任期4年(ただし、解散あり)、参議院は任期6年で半数ずつ3年ごとに改選される仕組みになっています。日本国憲法がそのように定めているのです。
 議会をどのような構成にするか、どのような任期や改選方法にするかについては、国ごとに違いがあり、一様に決まったものではありません。とはいえ、二院制を採用する国は多く、また、その任期や改選方法は異なるものと定めている例が多いと思います。
 それでは、日本国憲法は、なぜ二院制を採用し、その任期や改選方法も異なる仕組みを採用しているのか、その理由もやはり「人間は間違いを犯すもの」という考えが根底にあるからです(なお、二院制の意味は、これだけではなく、より多様な民意を、その時々に応じて的確に反映するためということもあります。)。
 歴史を謙虚に受け止めたとき、人間は間違いを犯しやすいことを前提にして、間違ったときでもリカバーの手段を持っておく、そのためにも二院制は採用されているのです。
 任期が4年と6年と異なるものと設定され、参議院については3年ごとに半分ずつ改選するというのも同じです。
 衆参ともに同じ時期に全員一斉改選するということになれば、その時点での多数派が議会を独占することになるため、仮に
多数派が間違いを犯したときに歯止めがなくなります。そうした事態を防ぐために、衆議院と参議院とで任期を異なるものにし、改選方法も参議院は一度に全員改選するのではなく、半分ずつ3年ごとに改選することで、急激な変化をおしとどめているのです。
 結局、人間が間違いを犯しやすいという歴史上の教訓に基づいて、現在の議会制民主主義(代表民主制)は制度設計されていると言えるのだと思います。

6.民主主義は、政治形態としてみたとき、一つの政治手法に過ぎず、また、それが唯一の手段だとか、完全無欠の手段だといえるものではありません。
 ヒトラーが民主主義によって登場したとおり、民主主義は独裁を生む危険をも内包しています。民主主義にも、欠点あるいは弱点はあるのです。
 それでも民主主義がいいと思うのは、自分のことを自分で決めたい、自分たちのことは自分たちで決めたいと思うからです。誰か少数の人たちに、勝手に決められては困るからです。
 他方で、民主主義は完璧な制度ではありません。「人間は間違いを犯しやすい」のです。
 そして、人間が間違いを犯しやすいという歴史的・社会学的事実を我々に提示し、教訓として教えてくれているのは、これまでの歴史学や社会学、政治学などの研究のおかげです。
 科学というとき、最近では自然科学ばかりに目が行ってしまいがちですが、こうした人文科学のたゆまぬ歩みも、我々により良い未来を選択するよう、光を照らし続けてくれています。
7.日本学術会議の任命拒否問題については、学問の自由の根幹にかかわる問題であることについてこれまでに何度かつぶやいてきましたが、昨年、菅首相(当時)が任命拒否した6名の学者・研究者はどの方も人文科学の専門家であり、その道の大家(たいか)
です。
 それにもかかわらず、理由も明らかにしないまま、今なお任命拒否の状態が続いています。
 今の政府与党は、歴史学、社会学、政治学等の成果である「人間が間違いを犯しやすい」ことを謙虚に受け止められないのだと思います。
 既に述べたように、学問の自由の保障と
その下での学問研究の自由な発展なくして、我々はよりよい未来を選択することはできません。
 しかし、まだ遅くはありません。
政府与党には、謙虚に受け止め、反省してもらいたいと思います。

 

(2021.10.12)