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No. 37 ~忘れられる権利~|大分県中津市弁護士中山知康

1 今日は、最近新聞等で話題になっている「忘れられる権利」についてお話しします。というのは、私自身はこれまでさほど関心は持っていなかったのですが、先日、長女から学校の課題になったので教えて欲しいと言われ、少し勉強しましたので、その結果をお話ししようと思ったのです。

忘れられる権利については、未だ明確な定義は確立しておりません。ただ、一般論としては、プライバシー権の一内容をなすものとして、公権力からはもとより、私人間でも保障・尊重されるべきだということは言えると思います。

2 プライバシー権は、日本では憲法13条で保障されていると一般的に考えられており、古くは「一人で放っておいてもらう権利」(Right to be let alone)と定義されて、私的な情報(肖像を含めて)を無断で収集されたり、公表されたりしないということが中心的な内容とされていたものです。

その後、情報化社会の進展に伴って、プライバシー権の内容も発展・充実し、上記の古典的意味に加えて、既に集積されている自分の情報を自らコントロール(開示、訂正、削除等の要求)をすることができる権利として再構成され(これは既に、個人情報保護法等によって具体化されています。)、さらに、21世紀に入ってから、特にEU等で、プライバシー権の一つとして「忘れられる権利」(right to be forgotten)も保障されるべきだということが主張されるようになり、いくつかの裁判を経て現在の議論に至っているようです。

3 このように、プライバシー権は時代の進展とともに、スポットライトの当てられ方が変わってきており、権利の内容そのものが変化しているようにも見えますが、本質は、「私事の秘匿性」ということができると思います。

それゆえ、私事といえども、公知の事実、即ち、既に世間に知れ渡ってしまった事柄については、プライバシー権の守備範囲ではないと考えることもでき、そのため、知られてしまった情報を「忘れられる権利」については、これまではプライバシー権の問題としてはあまり意識されてこなかったのだと思います。

しかしながら、一度知られてしまった事柄といえども、時の経過とともに社会的な関心が薄れれば、それ以上流布あるいは公開され続けられないことへの欲求も高まります。人間が生活していく以上、いったん知られてしまったとはいえ、私的な事柄をずっと公開されたり、流布され続けるのは多大な苦痛であり、時には社会生活を営む上での重大な支障にもなりかねないからです。

ですから、忘れられる権利は、いったん秘匿性を失ってしまったプライバシー情報でも、時の経過によりそれを公開する必要が低くなることがある反面、相対的に秘匿性が復活する場合の権利保障と考えることもできるかもしれません。

4 このような忘れられる権利ですが、日本では、現時点では、最高裁等でその内実が明らかでないとされています。

もっとも、プライバシー権の一内容をなすものとして、保障の対象となること自体は認められていると思われます。

  ですから、忘れられる権利というかどうかはともかく、個人的な情報を勝手に収集されたり、公表されたりすることを拒むのができるのと同じように、いったん流布されてしまった個人的な情報も、時の経過によってその削除を求めることができるということも一般的には言えるのだと思います。

5 そして、そうした権利が侵害された場面では、その相手が私人(私企業を含む。)の場合には、プライバシー権(人格権)や名誉が侵害されたとして、損害賠償等を求めることにより権利の救済を図ることができます。

とはいえ、その場合には、相手方の表現の自由・知る権利との調整が必要になります(なお、知る権利は、表現の受け手の側から表現の自由を捉えたものであり、表現の自由と表裏一体のものです。)。特に、公表されている情報が、公人や著名人の情報である場合や、そうでなくとも、公共的利害・関心の高い、公益にかかわる情報の場合には、表現の自由・知る権利が保障される必要性が高いため、プライバシー権や忘れられる権利が保護される度合いは低くなります。

もちろん、時の経過によって公共的関心が薄れ、反面、プライバシー権の方を保護すべきだという場合も出てくると思いますが、その場合でも、検索を容易にする機能などは表示されないようにすべきだとはいえても、当該情報そのものを抹消等することについては、知る権利の保障との関係で容易ではなく、いずれにしても、表現の自由とプライバシー権の調整は難しい問題です。

6 現在、検索エンジンを運営する会社がそれぞれ、忘れられる権利保障のために、内部で基準を作成し、運用を始めているようですが、いずれにしても、忘れられる権利と表現の自由との調整・解決にはまだまだ時間がかかりそうですし、仮に忘れられる権利の保障が今後充実したとしても、記事の削除などの救済までには時間がかかります。

  ですから、今、私たちがまず気をつけなければならないことは、ネット上などに安易に自分や周りの人の私的情報を載せないことだと思います。なぜなら、それが拡散されたときには、もはや取り返しがつかないからです。万一、その情報が自分にとって不都合なものだった場合には、忘れられる権利を行使して削除するまでには大変な手間と時間を要するでしょうし、そうでない場合でも、いったん拡散された個人情報はおそらく一生消えず、様々な悪用の危険(ストーカーなどもあり得ます。)が伴います。

  ですから、私たちは、忘れられる権利の実現の困難さを自覚して、ネット空間との付き合い方や距離を学ぶ必要があると思います。

7 最後に、忘れられる権利を簡易迅速に保障・救済するための法制化も検討しなければなりませんが、その場合には、反面で表現の自由・知る権利が脅威にさらされることも自覚しておかなければなりません。

  法律によって簡易迅速にプライバシー権や忘れられる権利を保護しようとすれば、それは他方で、公権力による表現活動の抑制につながりかねないからです。

  いうまでもなく、表現の自由・知る権利は、民主主義社会の根幹です。自由な表現活動と自由な情報の流通・取得の機会が保障されていない社会では、健全な議論も取捨選択も不可能だからです。

  ですから、プライバシー権保障のためとはいえ、表現の自由を抑制する恐れのある法制度を安易に求めることは、自分で自分の首を絞めることにもなりかねません。

  だからこそ、表現の自由とプライバシー権の調整は、本当に難しい問題なのです。

(2017.8.28)