衛生対策
またもや悲しい事件が起こりました。
連日テレビで報道されている、いじめ自殺です。
いじめも、いじめによる自殺も、全然なくなっていません。
私が高校生の頃にも、中学生がいじめを苦に自殺して大問題となった事件がありました。教師まで加わった葬式ごっこなどと称する凄惨ないじめにより、一人の中学生が命を絶った事件でした。この事件で、いじめ自殺が初めて社会問題として大きく取り上げられ、以後、関心をもたれるようになったのですが、それ以後、文部科学省も、各都道府県や市町村などの教育委員会も、種々のいじめ対策を打ち出しているものの、現実にはいじめは一向になくなっていませんし、自殺も後を絶ちません。
なぜでしょうか?
要因は複合的で、いじめを効果的になくす手立ても現状では決定打はないというほかないのかもしれません。
今回の事件でも、教育現場、特に担任教師と校長先生たちが厳しい批判の的となっています。もちろん、学校で起きた問題であり、SOSのサインも複数回にわたってあったにもかかわらず、何の手だても講じていなかったのだとすれば、非難されるのもやむを得ないと思います。
しかし、常々思うのですが、こうした問題が起きたときに、学校を叩くだけでは、実は何の解決にもならないと思うのです。もちろん、起きた事件の責任は問われなければなりませんが、少しでも悲しい事件をなくすために、これからどうするかということも、同時に考えていかなければならないと思います。
残念ながら、子どもは残酷なことも平気でいい、平気でしてしまうことがあります。大人の私たちだって、職場や趣味のサークルなどで特定の人が中傷されたり、排除されたり、無視されたりする現状を知っているではありませんか。大人ですから、一応保身のために、体面を取り繕うすべは知っていますから、一見すると、辛辣な言葉や暴力などはないかもしれませんが、それでも、大人の世界にもいじめは厳然として存在しています。ましてや、子どもは、体面を取り繕うなんて浅はかな知恵は使いませんから、そこでのいじめは、言葉でも態度でもより辛辣で、暴力を伴うこともあるのでしょう。私自身、中学生と小学生の娘を持ち、また、中学校のPTA役員などもしていますが、いじめられている子どものことを耳にする機会が決して少ないとは言えません。
そう考えると、いじめを根絶するというのは難しいのかもしれません。大人だって克服できていないのですから。
それでも、いじめに遭っている子どもや人を、なるべく早く救い出し、安心させてあげられる方法は、必ずあるはずです。そして、その方法を考える上では、学校を叩くだけではダメだと思うのです。
なぜなら、学校は、体罰問題、いじめ問題と何か起きるたびに叩かれ、既に現場は委縮しているように感じるからです。いじめなどに限らず、問題行動を取る生徒を指導することすら、現実には困難になっており(生徒が教師を見くびるというか、侮っているようなところもあると思いますし、その背景には、モンスターであるかどうかはともかく、保護者も教師に敬意を払っていないという風潮もあると思います。)、そのため、教師は、保身のためにマニュアルに従った行動しかとれない、身動きが取れないのではないかと思うことがあるのです。
ですから、この問題は、学校を批判するだけではやはりダメで、保護者の意識改革も必要でしょうし、地域の関心も呼び起こす必要があると思うのです。いじめられている子どもをその環境から救い出し、他方で、いじめを行っている子どもたちにもその意味や怖さを知らしめて、教育する環境が必要です。
もともと学習指導にしても、生活指導にしても、教師の専売特許ではなく、親や地域社会こそ、子どもに与える影響が大なのですから。
(2015.7.13)