衛生対策
漫画タイガーマスクを真似して,伊達直人の名前で児童養護施設にランドセルを送る運動のきっかけとなった元祖伊達直人さんのことを覚えておられるでしょうか。
元祖といっても,もちろん,梶原一騎原作のタイガーマスクの主人公こそが元祖なわけですが,この漫画の世界を飛び出して,現実の社会で,漫画のタイガーマスクと同じように,恵まれない子どもたちの支援に精力と情熱を注ぐ存在として有名になり,その結果,5年前,日本中の児童養護施設などにランドセルなどが伊達直人の名前で送られるきっかけとなった,実在の人物のことです。
2010年当時,それよりも既に16年も前から児童養護施設にクリスマスプレゼントを送るなどの支援を続けてきたという伊達直人さんは,施設で暮らす前に保護される「一時保護所」の子どもが増えていること,そして,保護所では学校へも行けないことなどを耳にしたそうです。
そして,「ランドセルも入学式もない子が増えると思うと,心が震えた」と語っていますが,その足で,伊達直人さんは,ランドセル10個を買って,翌朝未明,前橋市の児相玄関前にこれらのランドセルを並べます。孤児院に寄付を続けた漫画「タイガーマスク」の主人公・伊達直人を名乗って。
このことが報じられるや,またたくまに匿名ないし伊達直人名での寄付が全国に広がりました。
この伊達直人さんは,お母さんを幼いころに亡くし,お父さんとは疎遠であったため,親戚の家を転々として育ってきたそうです。その後,就職のため上京し,まもなくして,近くの児童養護施設に月1万円の寄付を始めたそうです。そんなある日,施設の子どもから,「お父さんとお母さんがいないから,僕にはサンタさんは来ない」という言葉を聞きます。このとき,伊達直人さんは,自らが小学1年生の時に,サンタクロースに宛てて「ランドセルが欲しい」という手紙を書いたものの,かなわなかったことを思い出したそうです。
以来,伊達直人さんは,施設でサンタクロース役として,支援を続けているそうです。その信条は,「自分の過去は変えられなくても,子どもの未来は変えられる」というものです。
私は,伊達直人さんのこの言葉に心が震えました。
まさにそのとおりで,過去は変えられなくても,これからの子どもたちの未来は変えられるし,少しでも,よりよく変えることこそ,今を生きている私たち大人の責任だと思うのです。
話はまたタイガーマスクに戻りますが,漫画のタイガーマスクは,孤児の時代に悪役レスラーとして育てられ,悪役として戦うことを宿命づけられていたことから,成長したのちも悪役としてお金を稼ぎ,そのお金でマスクを脱いだ姿で孤児院を支援していました。しかし,その後,ルールを無視して戦う自らの姿を,自分が支援している孤児院の子どもたちに見せるわけにはいかないと感じます。その結果,正統派レスラーになるためにもがき苦しみつつ,最後は,正統派のレスラーとして必殺技も身につけることで,タイガーマスクというヒーローを誕生させ,子どもたちに夢と希望を与えることにも成功します。タイガーマスクこと伊達直人は,文字どおり,物心両面において,子どもたちを励まし,救うことに成功したのです。
現在,子どもの貧困対策はマスコミでも政治の世界でもたびたび問題になっています。しかし,まだ何も効果的な方策は打ち出されてはいません。それどころか,直接的には子どもの貧困問題ではないものの,今の子どもたちの学力や将来就ける職業などに大きく影響し,ひいては次の貧困を生み出しかねない,公立小中学校の改悪案も浮上しています。財政難を理由として財務省が打ち出した公立小中学校の教員削減案などがそれです。お金のある家庭の子どもならば,私立の小中学校に通うことができ,教員の削減などによる直接的な影響は受けずに済むでしょう。しかし,貧困世帯の子どもたちは,公立の小中学校に行くほか選択肢はありません。その公立の小中学校の教員を削減するということは,子どもの特性に応じたきめ細かい授業はしないということであり,これは,とりもなおさず教育の質を低下させるのではないか,そして,その結果として,学力の低下や授業についていけない子どもたちが固定化するのではないかということが心配なのです。
言うまでもなく,10年後,さらにその先の社会を担うのは今の子どもたちです。その子どもたちにかかる教育関連費用を単なるコストと考えるのか,それとも,未来への投資と考えるのかで考え方は分かれるでしょう。この点は,子どもを育てるのは親だけの責任か,それとも社会にも責任があると考えるかという問題にもつながります。
私は,今こそ,伊達直人さんや漫画のタイガーマスクを見習って,子どもの貧困問題を正面から見据え、解決のための一歩を踏み出さなければならない気がします。それこそが,現代を生きる大人の一つの使命だと思うのです。私たちが犯してきた様々な過ちや置き去りにしてきた失敗なんかは変えられなくても,子どもたちの未来は変えられるのですから。 (2015.5.13)