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衛生対策
現在、和歌山県の小学生殺害事件について、特に動機をめぐって、連日のようにテレビでも新聞でも取りざたされています。被害者やご遺族の方のご心中は察するに余りあり、あまりにむごいというほかない事件です。
この事件は、まだまだ捜査中ですから、捕まった容疑者が真犯人であるかどうかとか、その動機が報じられているとおりのものかなど、軽々に断定できるものではありません。
ただ、仮に、その動機が今報じられているような「からかわれた」ことに起因するものだとすると、犯人の精神状態なども大きく影響していることは確かでしょうが、それだけでなく、コミュニティの在り方も考えなければならないような気がします。
というのは、今、都会だけでなく、地方でも、近隣住民同士の結びつきは弱くなっていて、大人同士もさることながら、大人と子どもとの関わりはもっと希薄になっていると思います。この点は、地域のお母さん方など、日ごろから自分の子どもだけでなく、ほかの子どもにも接する機会のある人を除くと、地域の大人は、老若男女問わず、子どもと接する機会が減り、どこの、なんという子どもかも知らないという人が増えているような気がしています。
このことが、最近問題になっている、小学校や幼稚園は迷惑施設かという議論にも密接に関わっている気がするのです。日ごろからつながりがなく、どこの誰かもわからない、だから、ちょっとした子どもの登下校時の言動でさえ、耐えられないほどの騒音に感じてしまうということがあるのではないでしょうか?逆に、知っている人や子どもの言動であれば、ささいなことは我慢し、受け入れることもできる領域が増えるのではないでしょうか?
受忍限度論という法律用語がありますが、他人とのかかわりを少なくすればするほど、個人個人のプライベートな事情の優先度合が上がり、結果的に、ほかの人のすることが許せなくなる、つまり、受忍限度がどんどん下がっていく気がしてなりません。
もっとも、今お話しした地域のつながりの問題と真相が解明されていない今回の事件とを直ちに結びつけることはできませんが、仮に、地域のつながりがより緊密になり、お互いにどこの誰かがわかるようになれば、子どもが大人をからかうというようなことも起こりにくくなると思いますし、いたずらをする子どもに対する大人の接し方も変わってくるのではないかと思います(少なくとも、精神疾患や障害を持っている人をからかうようなことは大人の側でも叱ることができますし、子どもにしても、怖い大人に対してはそれなりに警戒もするようになるはずです。)。
煩わしさを伴う反面、人間関係の潤滑油ともなりうる地域のつながりを、どうやって掘り起こしていくべきか、それぞれの人が考え直すことが必要なのではないかと思います。 (2015.2.16)